歴史探訪

八郎太郎の伝説
 大昔のこと、鹿角草木の村に八郎太郎というマタギの若者がいた。仲間と十和田の山に猟に出かけた。その日、八郎太郎が飯の支度をすることになり、岩魚を焼いて待ったが、ついに一人で食べてしまった。すると急にのどが渇き、夢中になって水を飲み続けてとうとう大蛇となり、そこに大きな湖を作って住みついた。これが十和田湖だという。
 それから長い年月が過ぎて、南祖坊という修験者が鉄のわらじを履いて十和田湖畔にやってきたところ、わらじの緒が切れたので、熊野権現のお告げのあった永住の地としてここに住み着くことにした。そして、主の八郎太郎との争いが始まったが、ついに八郎太郎は南祖坊の法力に敗れ、十和田湖をでて米代川を逃げ下り山本郡琴丘の天瀬川に流れ着いた。八郎太郎は、そこで老翁と老姥の住む家に世話になったが男鹿の島とこの陸地をつないで大きな湖をつくって住みかとすることを神に祈願して、お告げを得ることができた。   →
 八郎太郎は世話になった二人に「鶏の鳴く夜明けを合図に大地震が起きて大洪水になる」と知らせて立ち退かせた。ところが老姥が忘れ物の麻糸を取りに戻ったとたん、暁の鶏が鳴いて大地が鼓動して大洪水となった。洪水に流されて溺れそうになった老姥を、とっさに八郎太郎は足で蹴り上げたが、対岸の芦崎に飛ばされたので、残った老翁と別れてしまった。ようやく八郎太郎は、この八郎潟の主として住み着くことになり、また老姥は姥御前として芦崎に祀られ、老翁は三倉鼻の夫殿権現として祀られた。
 それからこのあたりでは、鶏の鳴く合図で別れ別れになったことから、鶏の卵も食べることを固く禁ずるようになったという。
一本松
 水神と信仰される竜神になぞらえて、木彫りの竜顔を松の枝にかけて雨乞いを行う珍しい神事がこの一本松で行われました。八郎潟の干拓後、この行事も見られなくなりました。

一本松
熊野神社
 一本松の木彫りの竜頭が所蔵されています。昔、安倍比羅夫が蝦夷討伐の際、このあたりに上陸し、その時船をつないだという大木があり、親木と呼んでいましたが、立木は枯れ、台風によって倒伏し今は跡のみ残っています。

熊野神社
姥御前神社
 八郎太郎の伝説をもつこの神社の創建は定かでありませんが、大同年間(806〜809)と思われています。神社のある芦崎地区には鶏を忌み嫌う風習があり、今なおその名残があります。

姥御前神社
蓮沼竜神
 八竜竜神が祀られ信仰されています。蓮沼は内沼と外沼からなっており、八郎潟の漁師が大漁を祈願して網にかかった大きな魚を放ちました。その場所では多くの魚が生息していますが、もちろん信仰上から禁漁地とされていた。
 雨乞いも神事として古来から行われていましたが、昭和27年の神事を境に現在は行われていません。

蓮沼竜神
湧出神社
 大同2年(807)の夜、八郎潟から光を発する大石を引き上げ、これを御神体として祀ったもので、拝殿は享保15年(1730)に建立されたものと伝えられる。

湧出神社
大山家(国指定重要文化財)
 秋田県北部の模範的農家として19世紀中頃建てられた中門づくりの建物です。ご覧になる際は事前予約が必要です。

0185-85-4834(教育委員会)


国指定重要文化財「大山家」
萱刈沢貝塚遺跡

萱刈沢部落の北部稜線に位置する縄文時代の遺跡で、昭和33、34年に本格的な調査がなされ、その結果、縄文前期から中期にわたる遺跡である事が判明しました。残念ながら現在は、発掘当時の姿は残されておりません。


萱刈沢貝塚遺跡

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